甲子園の思い出

 平成8年8月20日の記事(福井新聞より) 花開く新・北野野球 「技より心」

花開く新・北野野球 「技より心」
【花開く新・北野野球 「技より心」】
「準決勝進出だ」。大喜びのナインをベンチの北野尚文監督(50)が、にこやかに迎える。その笑顔は、おやじそのもの。甲子園球場で続く全国高校野球選手権大会第十二日の十九日、高陽東(広島)を破り4強入りをきめた福井商。十八年前、スパルタ練習でセンバツ準優勝に導いた北野監督も、時代の流れとともに新たな練習法を身に付け再び頂点に近づいた。「技より心」を重視する"新・北野野球"が花開いた。
五年前、メンタルトレーニングを取り入れた。日本人選手が、国際舞台では大きな期待につぶれ、普段の力を発揮できない。厳しい毎日の練習はもちろん重要。しかし「野球は団体競技でありながら、投手対打者といった一騎打ち。精神力に負うところは大きい」と、書物を読みあさった。
あるカードを使って集中力を高める訓練。試合では、バットやグローブなどがカードの代わりをし、いい感じで打てた場面、矢のような送球で走者を刺した場面をイメージするのだ。碧山先制打、浅野、竹野の勝ち越しタイムリー、亀谷がピンチを脱する。集中力なしには手にできなかった準決勝進出だ。
昭和四十三年、龍谷大卒業と同時に同校野球部監督に就任。野球に恋するが故に、炎のチームを愛するが故に、スパルタ方式の厳しい指導を取った。情熱が上滑りし「練習についていけない」と部員が続々辞めていった。選手の家に「もう一度やってくれ」と頭を下げて回った。若さもあったのだろう。
そんな屈辱を乗り越え、センバツ準優勝に導いた昭和五十三年。当時の主将、竹内正美さん(36)は言う。
「あの時、目標はベスト4と言っただけでも、監督にしかられた」。今、甲子園を沸かせ、県民を熱くさせている三年生たちが生まれた年。あれから十八年、時代は変わった。監督も五十歳。「優勝したいという気持ちに変わりはない。若いころは、めちゃくちゃに絞った。あんなバイタリティーは減ったかもしれない。意識したわけでなく、自然に変わってきた。でもその分知識を蓄えた」
"指示待ち族"ともいわれる現代っ子に「やる気を起こさせられるのか」。スポーツの三要素「心・技・体」の中でも「心」を重視し「逆算管理」を導入。選手には大きな目標を持たせ、それを実現するための小さな目標を掲げ、日々の練習につなげていく。少子化で野球少年が減り、県内の強豪私立高に素質の高い選手が進学する。「甲子園へ行くなら福商」の時代が遠ざかろうとしていた矢先春夏連続出場だった。
「甲子園出場」が中目標だった福井商ナインが、だれもはばかることなく口にする大目標「全国制覇」に向かって突き進んでいる。

 平成8年8月21日の記事(福井新聞より) 炎の福商燃え尽く 堅守崩れ逆転夢に

炎の福商燃え尽く 堅守崩れ逆転夢に
【炎の福商燃え尽く 堅守崩れ逆転夢に】
【評】福井商の守りにミスが出てしまった。打撃陣も二度にわたり同点に追い付く粘りを見せたが、焦りからか好機にもう1本が出ない。松山商の継投策にもかわされ、本県勢初の決勝進出はならなかった。
福井商・亀谷は立ち上がりを攻められた。初回、2単打で一死一、二塁。松山商の主砲を三振に取り二死としたが、次打者の二ゴロが内野安打となる間に一気にホームを奪われ1点を先行された。
福井商はその裏、中川が大会タイ記録となる通算4本目の三塁打を左中間に放ち、河合がすかさず中前に弾き返して同点。なお碧山の内野安打、清水の犠打で一死二、三塁と攻め立てたが、松山商・渡部のカーブに手こずり後続がなかった。
二回に、福井商自慢の堅守にほころびが出だ。二死二塁から一、二塁間のゴロを碧山がうまくさばいたが一塁ベースカバーに入った亀谷とのタイミングが合わず後逸、勝ち越し点を奪われた。しかし福井商は五回、先頭・安達が死球、中川の左前打で無死一、二塁。河合の犠打でそれぞれ塁を進め、碧山の左犠飛で再び追い付いた。だがこの時、中川が三塁を狙い、捕手からの三塁手への返球であえなくタッチアウト。
さらに福井商は七回に単打、四球を許し無死一、二塁のピンチ。亀谷は次打者を投ゴロに仕留めるが、間に合わない三塁へ送球、満塁としてしまった。一死後、当たり損ねの投ゴロをファンブル。決勝点を奪われた。
福井商はその裏、二番手・新田から3四死球で一死満塁のチャンス。河合が右飛を上げ、再度同点かと思われたが、好返球で三走・塚田が惜しくも噴死してしまった。一気に流れが松山商に傾き、八回には2適時打で突き放され、涙をのんだ。
【北野尚文監督】
選手は本当によくやってくれた。肝心なところでミスが出たが、ナインは責められない。勝てなかったのは、ほんのちょっとツキがなかっただけ。大舞台でこれ以上出ない力を発揮してくれた。選手には「長い夏をありがとう」と言いたい。
【河合洋平主将】
負けたのはやっぱり悔しいが、4勝できたことは満足している。ここまでこれたのもみんなが一丸となってきたから。甲子園は僕らに大きな勇気と自信を与えてくれた。すべてのプレーが思い出になる。でも本当はもっとやりたかった。

 平成8年8月21日の記事(福井新聞より) あと1打同点機逸す

あと1打同点機逸す
【あと1打同点機逸す】
初回福井商、先頭打者中川が左中間を破る三塁打を放ち、三塁ベース上でガッツポーズ(三塁手星加)

 平成8年8月21日の記事(福井新聞より) 地道な努力 見せた快打

地道な努力 見せた快打
【地道な努力 見せた快打】
1回裏福井商無死三塁、河合が同点中前適時打を放つ(捕手石丸)

 平成8年8月21日の記事(福井新聞より) "新米"一気全国エースに

新米一気全国エースに
【"新米"一気全国エースに】
5試合で646球を投げた亀谷が燃え尽きた。松山商の強力打線と互角に渡り合い、再三の満塁機を招きながらもマウンドを死守した。「亀谷を助けよう」とバックも奮起。最後まで一丸野球の原動力になった。県大会までは背番号「10」。甲子園から「1」を背負った新米エース。“夏”の終わりには、押しも押されぬ全国屈指のエースに成長していた。
「ペースを崩していつも通りの投球ができなかった」。この日は満足のいく内容ではなかった。七回には一死満塁から、投ゴロをつかみ損ねて勝ち越し点を献上。「自分のせいで負けた」と悔やむ。「四国のドカベン」今井にも、ファウル誘いの球を三度外野に運ばれた。「今までのバッターと打球が違った」と力の違いを認める。だが、連続死球で満塁となり制球が乱れたかに見えた五回には「ストライクを置きにいくくらいなら、思いっきり投げよう」。あえてコーナーを突く勝負度胸でピンチを切り抜けた。「甲子園に来て一回り大きくなった」とナインのだれもがエースと認める。
入学当初はエースと目されながらも鈴木にその座を譲ってきた。しかし、帽子のツバには「一番」と書き込んできた。「精神、技、集中力が一番になりたくて」。二番手に甘んじながら黙々と投げ続けた。六月にひじを痛めた鈴木から、文字通り「1番」を引き継いだ。県大会の大半を投げきり、甲子園を勝ち進むうちに女房役・清水も「あんなピッチャーと組めて最高」と、急増バッテリーがいつしか絶妙のコンビに。
試合後「まだ、疲れていない。もう1試合できる。もうちょっと甲子園にいたかった」と、話す亀谷。気持ちはまだマウンドにいた。だが「やればできるんだと、福商野球を示した。胸を張って帰りたい」。表情に曇りはない。高校最後の夏に最高の舞台で自信と誇りをつかんだ。

 平成8年8月21日の記事(福井新聞より) 感激スタンドの3年部員 「ナインと一心同体」

感激スタンドの3年部員 「ナインと一心同体」
【感激スタンドの3年部員 「ナインと一心同体」】
ベンチに入れず、スタンドから三年間の思いをこめて声援を送り続けた福井商野球部三年生六人の夏も終わった。
竹内俊裕君は県大会中や甲子園初戦までバッティング投手としてナインを支えてきた。準決勝の舞台に立つ仲間の姿を見て「正直言って、ここまでこれるとは思わなかった」と感慨深げ。一回裏の得点にも「まだすべて出し切っていない」とナインのさらなる反撃に期待を込めた。
この日、室内練習場で試合前のバッティング投手を務めた清水和人君は「中川、碧山はいい当たりをしていた。試合でも調子よさそう」。五回に追いついた時には「福井商の野球になってきた」とメガホンをたたく手に力を入れた。
高嶋修次君は「周りの部員と一緒に応援できるから、近くにいても遠くにいても変わらない」と話す。丸山英寿君は「今朝はレギュラーみんなが勝つことに集中していた。負ける気は全くしません」と、絶大の信頼を置いて応援した。
三年間、練習試合では代打や外野の守備に奮起してきた木戸顕吾君が「これまで、全員のいい持ち味が出せています」と話せば、甲子園に来て以来、バッティング投手をかって出てきた福田温彦君は「みんな勝ち進むにつれ、自信が出てきたよう」。ともに「僕らのためにも決勝に進んでほしい」と口をそろえた。
しかし九回裏、最後の打者・中川がファーストゴロに倒れた。その瞬間、六人はスタンド席に座り込んだ。木戸君は「惜しかった・・・。最後に力の差が出てしまった」と唇をかんだ。「みんなよくやってくれました。でもいつも通りの野球ができてなかった」と話す高嶋君の目は真っ赤。丸山君は「残念です。でもぼくらの分まで頑張ってくれました」とレギュラーナインとともにアルプス席応援団に頭を下げていた。

[思い出の甲子園 一覧へ戻る]

ページの上部へ

ピックアップ