燃える福商 連載1~4より

昭和52年8月2日の記事(福井新聞より) 燃える福商1 伝統を踏まえて 北野野球見事に開花

【写真】比叡山を打ち砕き待望の甲子園出場を果たした福商ナイン。スタンドからは紙テープが舞いナインの健闘をたたえた

【燃える福商1 伝統を踏まえて 北野野球見事に開花】
福商ナインが甲子園の土を踏む。四年ぶり三度目の快挙である。汗と泥にまみれながら一戦一戦勝ち抜き、福滋大会という最後の難関を乗り越え今、ナインは甲子園行きの切符をしっかりと握り締めた。”炎のチーム”という言葉で形容される福商ナインは甲子園球場でも大きな炎を燃やしてくれるに違いない。
福商野球部の創立は大正十二年五月である。故田巻政憲校長のキモ入りで野球部がスタートした。昭和五年には、当時の金で一万千円をかけて立派なスタンドとネットが造られた。北陸では最高の設備で、このころ公式試合はほとんど福商グラウンドで行われた。
これが契機となって昭和十一年、福商は全国中等学校野球大会に出場。予選で延長十三回の熱戦の末、高岡商を破って甲子園初出場だった。
しかしその後の福商は全く甲子園から見放されてしまった。昭和二十九年、県予選二回戦で好投手牧野(元東映フライヤーズ)をようする武生と対戦、この大会に優勝した武生を最後まで苦しめながら6-5で敗れ去った。三十一年には優勝候補の敦賀を3-1で破る殊勲を打ち立てたが、三回戦で敗退し甲子園への道を断たれた。
三十三、三十四年は白石、高村、紙本といった強力クリーンアップトリオをそろえ”最強のチーム”と騒がれた。だがここでも勝ち運から見放され初戦で散った。そして四十五年、全国高校野球北陸予選への代表決定戦で高志に九回裏逆転サヨナラ負けを喫しナインは「来年こそは」の意気に燃えた。
高志戦での苦杯が刺激となって炎のチームが誕生した。ナインの気迫はそのまま秋の北信越大会に持ち越され、決勝で桜ヶ丘を破り同時に四十六年春のセンバツ出場をものにした。それは福商野球部の輝かしい歴史の一ページでもあった。
福商野球は北野野球とともに歩んできたといっても言い過ぎではない。北野尚文氏(32)三十七年敦賀高に進み外野手として活躍、その後龍谷大に進み関西六大学野球リーグを代表する好打者だった。青年監督として期待されながら福商にやって来たのは四十三年だった。
そして四十六年から三年連続センバツ出場という偉業を達成。「その人間の特性、性格を見極めて、それに応じた鍛え方をする」という北野野球が見事に花開いた。
北野監督にとって忘れられないのは四十八年の夏であろう。春のセンバツには三年連続出場していながらどうしても夏は勝てない。”夏に弱い福商”というレッテルさえはられてしまった。しかいこの夏、エース水野に加えて戸板、島田、野村という強力打線が活躍して待望の夏の甲子園にコマを進めた。
福商はもはや、名実ともに野球名門校にのし上がっていった。五十年春には全国屈指の好投手前側をようして春の甲子園に乗り込みベスト8に進出、甲子園に福商旋風を巻き起こしたのはまだ記憶に新しい。
五十年春のセンバツに出場して以来、福商は常に優勝候補に挙げられながら甲子園にコマを進めることが出来なかった。四十六年から三年連続でセンバツに出場し、四十八年には春夏連続甲子園出場を果たした福商にとって二年間のブランクは大きい。
甲子園行きを宿命づけられたチームの悲哀かも知れない。今春ついに、野球部の予算を縮小しようという意見が持ち上がった。予算が削られては思うような練習が出来ない。当然甲子園は絶望的になってしまう。
当時の野球部長である永井弘平氏は「輝かしい福商野球部の歴史もこれで幕を閉じるかもしれない」と昼夜思い悩む日が続いていた。しかし「もう一度やってみよう。もう一度やらせて欲しい」という永井氏の熱意が野球部後援会や同窓会を動かし予算カットは中止された。一応危機は乗り切ったものの今年はダメならば来年再びこの話が持ち上がることは間違いない。
選手もこうした雰囲気を感じ取っていた。「今年がダメならもう後がない」悲壮な決意さえ漂っていた。そしてぎりぎりまで追い詰められたナインは甲子園に向け一歩を踏み出した。
「四十八年の戸板がいたころよりはるかに強力な打線だ」(北野監督)というように猛打線を引っ下げて福商の歩みはすさまじいものがあった「絶対に負けられない」そんな気迫が福商を一歩一歩甲子園に近づけていった。県予選を乗り切り、福滋大会を制覇。懐かしい福商野球部の歴史にまたひとつ栄光の一ページを刻んだ。

平成52年8月3日の記事(福井新聞より) 燃える福商2

【燃える福商2】
福商球児は念願の甲子園出場を果たした。厳しい練習に耐え、苦しい試合を乗り切って栄冠を勝ち取った。さあ今度は全国区の強豪が相手だ。目標はベスト8、四年ぶり三度目の出場を勝ち取った。”甲子園野郎”の横顔を紹介しよう。

【切り込み隊長役割果たす 奥田 静巨 左翼手】
丸岡中学時代は野球のかたわら陸上選手として鳴らした。中学三年では、走り幅跳びで県中学新記録をマーク、百メートルでも県大会に優勝している。野球よりも陸上選手で将来が期待されたものだ。
その彼が野球を続けたい一心で、福商にやってきた。俊足で野球センスのよい彼は機動力を売り物にしている福商にとって貴重な存在。クリーンアップにつなぐ”切り込み隊長”の役目を受け持った。
百メートルを11秒3で走る。走塁もうまい。バッティングもシャープ。一番打者としてうってつけの資質をすべて持ち合わせている。
きちょうめんで練習熱心。成績もクラスで一、二を争う。細い目をいっそう細めて笑う顔は全くにくめない。ナインの”知恵袋”でもある。通称「奥田メモ」を持ち歩いており、そこには練習試合を含めた個人成績やチームの勝敗がびっしり書き込まれている。
「県予選以後一戦一戦調子が上がってきている。このまま甲子園でもハッスルしてベスト8いやベスト4をねらう」といい切る。
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【驚異的打率誇る好打者 平井 秀仁 一塁手】
池田中学から左の好投手と騒がれて福商に入った。速球投手として将来が大いに期待された。しかし二年の秋、肩と腰を痛め投手を断念「それならば・・・」と打者として再出発した。「今になってみれば投手を続けるより打つことに専念してよかったと思います」と言う。
県予選福滋大会では本塁打こそ出ていないが3本の三塁打を放ち力のあるところを見せつけた。打率も4割5分と驚異的。「打席に入るのが楽しくてしようがない」とも言う。
頭でっかちでヌーボーとした雰囲気は一年生の頃と全く変わっていない。明るい性格の持ち主である。
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【パンチ力はチーム随一 藤沢 幸治 二塁手】
マネージャー日記の藤沢選手の項目には「小柄ながら力がある。神経が細かい」と書かれている。身長166センチ、61キロ、レギュラーの中では最も小さい。
この小さい体で二塁のポジションを確保した陰にはたゆまぬ努力がある。丸岡町の自宅の二階が彼の自主トレーニングの場だ。丸岡中から高校に入ったときに買った30キロのバーベルが置いてある。
「恵まれない体格をカバーするには力をつける以外にない」彼は練習を終えてくたくたになって家に帰ってから一人黙々とバーベルによるウェートトレーニングを続けた。この努力は確実に実を結んだ。これまでに2本塁打を放ち「パンチ力ではチームの誰にも負けない」(北野監督)というまでに成長した。
くりくりした目玉が印象的であどけなささえ感じられる。だが神経質な一面もある。「監督に注意されたときや調子が悪いときなどはくよくよ考え込んでしまう」と言う。
小さい頃から農業を手伝い重い米俵などを運んだことがある。力持ちの原因はこの辺りにあるのかも知れない。
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平成52年8月4日の記事(福井新聞より) 燃える福商3

【燃える福商3】
【勝負強さで勝利に貢献 沖島 光男 捕手】
主将のお手本のような選手である。身長178センチ、体重73キロと見事に均整のとれた体格。精かんな顔つきで成績は常にクラスで上位、スターの雰囲気さえ漂わせている。
永平寺中から福井市内の普通高に進学するつもりだったらしいが、野球への情熱を抑えることが出来ずに福商に進学。現在進学クラスに入って野球と同じく勉強の方にも情熱を傾けている。
「ファイトマンで勝負強く、文字通りチームのかなめ」マネージャー日記にはこう書かれている。その言葉通り甲子園をかけた決戦、福滋大会では勝負強さを十分発揮してチームの勝利に大きく貢献した。県予選、福滋大会を通じて打率5割7分1厘はチームで最高、5本の二塁打を放ち長打力も持ち合わせている。
学内でも彼を評して「スポーツよし、学業よしの模範生」と言う。真っ黒に日焼けした顔が厳しい練習の跡を物語る「甲子園では練習のような気持でプレーする。とにかく一戦一戦悔いのない試合をしたい」と言う。
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【制球力抜群完全に復調 安川 和彦 投手】
県予選直前に肩をこわした。疲労がたまっていたのだろう。ボールを投げることが出来ない。無理をして投げるとズキンと痛みが走る。最悪の事態のまま県予選を迎えた。
「試合に負ければそれはすべて僕の責任だ」県予選の一、二戦をベンチで見守っていた彼は居ても立ってもいられない。かなり腕の痛みも回復してきただけに第三戦で北野監督に「先発させてください」と申し出た。投げ込んでいないので自分でもどれだけのピッチングが出来るかわからない。それでも懸命の力投を続けた。
勝った彼は完全に立ち直った。春の優勝投手安川が夏の県営球場に再現した。技術的にも精神的にもひと回り大きくなって見事甲子園出場を果たした。
上庄中ではエースで主将で四番を打った。同期の平井選手と並んで左右のエースと期待されて福商に入った。一年のころよりややスピードは落ちたが制球力では抜群のものを持っている。「前側投手と比較されるのはいやだ。僕は僕なりに甲子園でも力いっぱいやるだけ」と闘志を燃やす。
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【努力実りレギュラーに 鈴木 俊男 三塁手】
三年生になってやっとレギュラーになった。三塁のポジションをもらった時には「野球を続けてよかった」としみじみ思ったそうだ。成和中から福商に進学、野球部に入った時、周囲の新人部員はいずれも体が大きく野球がうまそうで「とても僕はレギュラーになれない」と一時はあきらめかけたという。
レギュラーになれるアテもなく毎日ノックを続けたり球ひろいなど同じことばかり。何度も野球をやめようと思った。だが「途中でやめては男じゃない」と必死に耐え徐々に力をつけた。
夜の自主トレーニング、練習が休みでも友達とノックをして体を鍛えた。努力は実った。三年にレギュラーポジションを与えられたばかりか夢にまで見た「甲子園」というすばらしいおまけまでついた。
「うれしい。夢のようだ。野球を続けて本当に良かった」と言う。そして、「僕の野球技術はナインの中では一番劣っている。だから甲子園では思い切り声を出してファイトでチームの役に立ちたい」とも言う。
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平成52年8月5日の記事(福井新聞より) 燃える福商4

【燃える福商4】
【甲子園ではヒーローに 小嶋 喜博 右翼手】
鯖江中では四番を打ち強打者として鳴らした。しかし福商には県下各地からすぐれた選手が集まってくる。「中学時代に打てたからと言って高校で通用するのだろうか」そんな不安は隠しきれなかった。
高校一年のとき、案の定この不安が現実のものになった。27人の進入部員はほとんどが北野監督のキモ入りで入部していた。しかし彼は中学時代、監督から一言も声がかからなかった。「球拾いで三年間終わってしまうかも知れない」とも思った。
「どうせ野球をやるなら強い所でやりたい」と思って入ったのだが、むなしく一年が過ぎた。だがこの時、北野監督は彼の才能を見抜いていた。「必ず強打者になれる」監督は信じていた。
彼も努力に努力を重ねついにクリーンアップの一角を担うまでになった。今や打の福商の中心でもある。それだけに福滋大会での不振が頭から離れないのだろう。「あの時は打てなかったが調子は上がっている。甲子園では必ずヒーローになってみせる」と言い切る。
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【器用で打撃もなかなか 竹内 正美 遊撃手】
非力な彼は健康管理に最も気を使う。朝は七時に床を離れる。まず朝の新鮮な空気を胸いっぱい吸って体操、一汗流してから朝食をとり学校に行く。練習を終えて帰ってからも風呂に入って夕食のあと、素振りや体操をする。夏場にどんなに暑くても足腰を冷やさないよう長ズボンをはく。寝るときは必ず下着と厚手のパジャマを着る。
毎日ハンで押したように規則正しい生活を送っている。「僕はあまり体力がないので体をこわしたらおしまい。それだけに気を使っています」と言う。
丸岡中出身で福商では一年からレギュラーになった。それも遊撃という重要なポジションだ。彼は「守備が買われたんでしょう」とこともなげに言うが競争の激しい福商野球部で一年からレギュラーになるにはそれだけのすばらしい素質を備えていたからだ。
打撃もなかなかしぶとい。予選の打撃成績はちょうど5割。他の選手が良すぎてあまり目立たないが地味なところで活躍している。マネージャー日記にも「器用で打撃もよい選手」と書かれている。
・趣味 スポーツ ・特技 ものまね ・ファン 高田みづえ ・ニックネーム 百面相 ・将来は 体育の先生

【俊足で小技なら抜群 岩堀 治夫 中堅手】
俊足で小技のきく選手。福滋大会での2本の鮮やかなセーフティーバントをきめたのはまだ記憶に新しい。
小学校までは右投げ右打ちだった。それが丸岡中に進んで「打者として有利だから」と左打ちに変えた。初めはどうもしっくりいかず苦しい毎日が続いた。でもそこは器用さで見事にカバーし左打ちを完全に自分のものにしてしまった。
「小技と足、これが僕のすべてです。自分の持っているものを出し切ることが僕の役目」と言う。そのためには、人知れない努力がある。夜暗くなってから練習場でマシンに向かって黙々とバント練習をすることも多い。家に帰ってからもランニングと素振りは欠かさない。
ピエロというニックネームが表すように正確は明るくひょうきん者。いつもチームの笑いの中心にいる。レギュラーの中では数少ない二年生だが「別にやりにくいことはない。ゲームになればチームワークのことしか考えない」と言う。福商の切れ目のない打撃を支える。
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